大分県の北東部に位置し、面積206.24㎢、人口は23,382人(2016.8.31)。江戸時代には肥前国島原藩の飛び地となり、年貢米を積み出す港町であるとともに、以降、明治、大正、昭和に入ってからも大分県北部地域の商業都市として栄えた。昭和29年(1954年)に周辺自治体と合併して豊後高田市が誕生した頃、鉄道、バス路線の交通結節点として中心市街地は賑わいを見せていた。しかし、1965年に豊後高田駅から国鉄宇佐駅、宇佐八幡駅を結ぶ宇佐参宮線が廃線となり、豊後高田から鉄道が姿を消し、次第に中心市街地が衰退してしまった。近年では平成17年(2005年)に、西国東郡真玉町と香々地町の1市2町の合併で現在の市域となり、また、「昭和の町」をテーマに中心市街地が再生され、年間40万人が訪れる全国から注目される街へと変貌した。
静岡県からのアクセスは、東海道山陽新幹線で小倉まで行き、日豊本線直通の特急ソニックに乗り換え、小倉から宇佐まで約50分、さらに路線バスに乗り換え、宇佐駅前から豊後高田まで約10分。
中心市街地は、大交北部バスターミナル付近から北東へ桂川を渡った周辺までのエリア。
人通りよりも犬や猫の方が多いと言われた昭和の時代のまま取り残された商店街は、昭和の町として甦った。この取り組みは、「商業と観光の一体的振興策」として官民一体で2001年から始まり、当初は年間5万人を目標としていた観光客も2004年には予想を上回る25万人に達した。「大都市にある何かを持ってくる」ではなくて、全盛期だった昭和30年代に焦点を当て、「人口2万人規模の町で何ができるか」というのは素晴らしい発想だ。これからも、未来に向かって昭和の町を築いてほしいと思う。
【大交北部バスターミナル】
大分交通の関連会社「大交北部バス」が運営するバスターミナルで、1916年から1965年までは大分交通「宇佐参宮線」豊後高田駅の終着駅だった。
【昭和ロマン蔵】
2002年にオープンした博物館で、大分県の野村財閥が昭和10年前後に建てた農業倉庫を改装してできた建物。入口にあるボンネットバス「昭和ロマン号」は、昭和の町を周遊する無料バスとして指定日に限り運行されている。敷地内に入ると、1960年代から70年代の乗用車やトラック、オートバイなどが並んでいた。北蔵の昭和の町三丁目館は、民家や学校の教室などが再現され、東蔵の駄菓子屋の夢博物館は、駄菓子屋のおもちゃなどが展示されている。
【駅通り商店街】
【新町通り商店街】
【中央通り商店街】
【昭和の町展示館】
昭和の生活用品などが展示されているほか、様々な企画展も開催される観光施設。この建物は、旧大分合同銀行(現在の大分銀行)の支店として昭和8年(1933年)に建築され、その後、1962年には大分信用組合の本店となり、平成20年(2008年)に昭和の町展示館としてオープンした。
【玉津商店街】
【豊後高田市役所】
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