高橋裕二郎, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=447017 / CC BY SA 3.0
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高橋裕二郎
高橋 裕二郎(たかはし ゆうじろう、1981年1月13日 - )は、日本の男性プロレスラー。日本体育大学卒業。新潟県新潟市出身。新日本プロレス所属。
小・中学時代は野球部に所属し、捕手を務めていた。東京学館新潟高校時代にレスリングを始める。その後、日本体育大学へ進学し、4年生の2002年に全日本学生選手権グレコローマン84kg級王座を獲得。同大学卒業後、保健体育の非常勤講師と居酒屋でのアルバイトをしながら生活をし続けていたが、「これではオリンピックどころか全日本チャンピオンにもなれない」と考え始め、プロレスラーになる道を選んだ。2003年末に行なわれた新日本プロレス入門テストに参加し、これに合格を果たし同団体に入団した。
新日本プロレスに半年の練習生期間を経て、2004年7月26日、後楽園ホール大会の山本尚史を相手に「高橋裕次郎」としてデビューを飾る。ちなみにデビュー時のコスチュームは、近年では異例のアマレスパンツという出で立ちだった。2005年11月4日、成瀬昌由とシングルマッチで対戦。首固めで勝利を収めたが、この試合でアゴを骨折し長期欠場。2006年3月に復帰を果たした。
2007年3月、田口隆祐に次ぐ門下生第2号として、サムライジムの一員となり、5月22日、稔の保持するIWGPジュニアヘビー級王座に初挑戦。6月にはベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに初出場を果たし、今大会優勝者だったミラノコレクションA.T.から勝利を収めた。2008年3月、内藤哲也とタッグチーム「NO LIMIT」を結成。結成を機にコスチュームもオレンジを基調としたタイツに変更した。4月13日後楽園大会で獣神サンダー・ライガー&AKIRA組が保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦。敗れはしたものの、レジェンド相手に物怖じしないファイトを見せて注目を浴びた。
10月13日、DESTRUCTION'08にて、稔&プリンス・デヴィット組に勝利を収め、内藤と共に第22代IWGPジュニアタッグ王者に輝く。二度目の挑戦にして、悲願の初タイトルを獲得した。その後、邪道&外道組と対戦し、初防衛に成功したが、翌年2009年1月4日、レッスルキングダムIIIの舞台で、モーターシティ・マシンガンズ(アレックス・シェリー&クリス・セイビン組)に敗北を喫し、王座から陥落する。
同年2月、両国大会の4wayタッグマッチに勝利し、内藤と共にTNAに参戦。2009年3月31日(現地時間)、TNAオーランド大会でモーターシティマシンガンズに再戦も勝利はならなかった。さらに自らを鍛えあげるためにとそのままTNAに継続参戦。同年4月19日、シックスサイドスチール3way形式のタイトルマッチに挑戦。しかし、内藤が直前の試合で左膝を負傷するアクシデントが発生し本領発揮はならず、ここでも敗北を喫した。
5月からメキシコに舞台を移し、同月29日に内藤、ドス・カラス・ジュニアと組みCMLLに初登場する。以降継続的に参戦し活躍したが、12月4日に行われたエル・テリブレ&テハノ・ジュニア組との髪切りマッチに敗れ、丸坊主となった。
2010年1月4日、内藤と共にヘビー級へ転向を宣言し、新日本に凱旋。レッスルキングダムIVの舞台でチーム3D(ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン組)が保持するIWGPタッグ王座に挑戦(この試合は3wayマッチとして行われ、もう一組の挑戦者はジャイアント・バーナード&カール・アンダーソン組)。この試合に勝利し、第55代IWGPタッグ王者に就いた。3月5日よりリングネームを本名である「高橋裕二郎」に変更して再始動する。4月4日、内藤と共にヒールユニット「CHAOS」に加入した。
5月3日、レスリングどんたく 2010にて、青義軍(永田裕志&井上亘組)、BAD INTENTIONS(バーナード&アンダーソン組)を相手にIWGPタッグ選手権試合3WAYマッチを行うも、井上がアンダーソンからピンフォール勝ちを収めたため、同王座から陥落。試合終了後、「俺たちは負けていない」コメントを残し、内藤と共に再戦を訴える。翌6月19日に3WAYイリミネーションルール、7月19日に巴戦ルールとして同カードが実現したが、いずれも敗北を喫し、...
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