【タイトルマッチのアングルを暴露】興行を盛り上げるただの道具「チャンピオンベルト」はセメントで勝ち取るものではない。 #プロレス #猪木 #長州力って動画が話題らしいぞ
【タイトルマッチのアングルを暴露】興行を盛り上げるただの道具「チャンピオンベルト」はセメントで勝ち取るものではない。 #プロレス #猪木 #長州力が面白い件について・・
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toshihanai1971@gmail.com「NWF世界ヘビー級王座」はもともと、1973年12月から1981年4月まで、長らく猪木が保持していたベルトである。
このベルトは金に困っていたアメリカのローカル団体のトップ、ジョニー・パワーズから1972年1月10日、猪木が一万ドルでベルトを譲り受けたものである。表面上は東京体育館で猪木とパワーズが選手権試合を行い、猪木が勝ってチャンピオンになっている。だが、その後、新日本プロレスがNWAに加盟するとNWAから「NWFのベルトは世界のベルトではない。NWF世界ヘビー級選手権から世界を取ってNWF認定ヘビー級選手権に改めなさい」という厳しい注意があって、名称変更を余儀なくされたのだった。
この「ベルトに『世界』をつけるのはやめろ」というのは、NWAがマット界の最大勢力だった1980年代くらいまでは、かなり徹底していた。別に猪木に対してだけの嫌がらせというわけではなく、ジャイアント馬場の「PWFヘビー級」もかつては「PWF世界ヘビー級」だったが、1974年にNWAの勧告をうけて「世界」を外している。
現在の「IWGP世界ヘビー級」は、2021年になって「IWGPヘビー級」と「IWGPインターコンチネンタル王座」が統一されてできた王座だが、1987年にタイトル化された「IWGPヘビー級」に「世界」がついていなかったのも、当時はまだNWAの勧告の影響が残っていたからである。
このNWAの勧告を聞いた猪木は、怒り、悔しがっていたが、やがてNWAと関わることをあきらめ、NWFヘビー級王座を、自分を象徴するものとして、約9年間戦い続けた。そして1981年4月23日の蔵前国技館でスタン・ハンセンと戦った後、IWGP構想をぶちあげて、この王座の返上を宣言した。ちなみにこの日は初代タイガーマスクのデビュー戦でもあった。
猪木がNWFヘビー級を持っていた9年間、彼の主なライバルはタイガー・ジェット・シンとスタン・ハンセンであり、2人とも、短期間ではあるが猪木からベルトを奪取している。
しかし、シンもハンセンも本気でこのタイトルが欲しかったわけではない。日本の団体のタイトルなど、日本でしかその価値がない。アメリカに持って帰っても一銭の得にもならない。
だが、タイトルを一時的に貰えるということは、それだけそのリングで実力と人気を認められた、という証でもある。
プロレスのタイトルは決してセメントで勝ち獲るものではない。ただ、"貸す"のは信頼のおける外人選手に限るのである。#プロレス #猪木 #長州力
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>>3 おつおつ
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