田中秀和 新日本プロレス3代目リングアナウンサー誕生
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後に興行部へ異動した山口リングAN(当時)は「ケロさんは選手紹介をする際、唯コールするだけでなく選手側へ手をかざす等、初観戦する観客方にも、どの選手をコールしたのか分かる様な行動を心掛けていた。大いに参考になった」と語っていました。
また田中リングANは選手を愛称で言う(試合パンフレット・プロレス雑誌各コラム内だけでかもしれませんが)
ケースも多く主な選手に
ATジャイアント(アンドレ先生)
Bバックランド(バックランド先生)
Jスヌーカ(スヌーカ君)
Dマードック(マードックおじさん)
Mスーパースター(スーパーマーケット)
Bアダムス(アダムス君)
橋本真也(橋本ブーブー)
が挙げられます。
ケロちゃんの猪木のコールが好きでした。
田中秀和リングアナウンサーまでの新日本プロレスの三人のリングアナウンサーがプロレス界のリングアナウンサーの地位を上げたと言っても過言ではないと思います。
私の世代は新日本のリングアナと言えばやっぱり「ケロちゃん」こと田中秀和リングアナですね。あの美声とセンスのある前口上で大いに盛り上げてくれました。全盛期にはボクシングの鬼塚勝也の入場時のコールをしたことがあります。それだけ評判だったんですね。INOKI闘魂LIVEの暴動騒ぎではリング上で観客に土下座したりと苦労も多かった。それでも新日本プロレスの為に粉骨砕身の努力をしていました。一時期はマッチメイカーもやっていました。80年代後半から90年代までの新日本の裏方の中心人物でもありましたし影の貢献者でした。
ケロちゃんこそ最高のリングアナ。
ケロちゃんで関西弁、どっかの魔法アニメを思い出すwww
全日本でリングアナやってた仲田曰く
レスラーより目立っちゃダメって教えられて育てられたって
まぁ個性なのかなケロちゃんも嫌いじゃない
古館さんがプロレス実況を変えたアナウンサーなら、ケロさんは選手コールを変えたリングアナってトコかな?
三代目が一気に開花した感じですね。
田中ケロさんの初コールが1980年8月の品川プリンスホテルホール?でした。
この日が自分が本格的にプロレスを見始めた大会てました。
当日はニューヨークのシェアスタジアムとその品川の二元中継でした。
何か縁を感じてましたね。
そうですね考えたら彼は3代目のリングアナでしたね、好感度も抜群で彼のプロレス哲学も本で目にしましたし、特に親日ブーム全盛期には無くてはならない存在感までありましたね、イイ!キャラ性もあったなと今でも感じてます。
リングアナとしては優秀だけど、目立ち過ぎだね
田中さんはあちこちで結婚したい、と言っていて「なんでメキシコ人のブラック・キャットが結婚出来て日本人の自分ができないんだ」とぼやいていましたが、あっさりとモデルかなんかをやっていた美人と結婚しました。めでたしめでたし。
倍賞さんはお姉さんと同じ道を目指して俳優をやっていなかったかな。
若いころはハンサム・フェイスで女性に人気だったけど、偉くなるにつれて「志村けんに似ている」と言われるようになりました。
中村俊輔に似てる
田中秀和さんの役職は最高で係長、社内資格は主事か参事補でしたっけ。うろ覚えです。役職はどこの会社でもあるけど、新日プロが社内資格制度を採用しているかどうか、定かでありません。
新日本プロレスと言えば倍賞リングアナウンサー、初期は大塚リングアナウンサーです。飾らず余計なことをせず、目立たずリングアナウンサーを全うしていて好感が持てました。
美声だった。選手のコール前にこれまでの両者の対戦成績をコールするとこも良かった。
選手コールの時、身長体重や何回目の対戦などを紹介し、観客によりわかりやすくアナウンスしていました。
新型コロナ肺炎から復活して、何よりです。
田中ケロは勘違いしたリングアナの印象かな(汗)
でも仲田龍より裏の顔はましそう。
田中氏は大東文化大学だった記憶がありますね。青学は中邑真輔じゃあなかったかな?
たしか、青山大学出身だっけ?月刊ゴングか、プロレスの巻末の、裏方フレッシュマンみたいな小さなコーナーに紹介されていたのを、思い出しました。