藤本つかさは35歳の女子プロレスラーで、所属団体アイスリボンの頂点であるICE×∞のベルトを持ち、また取締役選手代表も務めている。松本都、星ハム子とともに今年デビュー10周年を迎え、8月26日には記念大会を横浜文化体育館で開催。アイスリボンが2年ぶりに進出する大会場だ。   ファイトスタイルに華があるだけでなく、ハードな打撃技も藤本の持ち味だ。女子プロレスにおけるオールタイム・ベストの1人である豊田真奈美からはガウンと必殺技を受け継ぎ、引退試合の相手も務めた。プロレスが天職にも思えるが「最初は女子プロレスに“怖い”とか“血が出る”みたいなイメージしかなかったです」と藤本は言う。   デビューのきっかけは映画出演だ。宮城県で生まれ育ち、地元の大学で教員免許も取得したが、就職のため初めて住んだ東京で芸能界の誘いを受けた。プロレスを題材にした映画『スリーカウント』のオーディションを受けたのも芸能活動の1つとして。出演の条件がプロレスデビューという企画で、藤本としては「単純に仕事として始めたんです、プロレスを。今となっては失礼な話ですけど」ということになる。   受け身の練習は涙が出るほど痛かったが、とにかく映画に出るために耐えた。いざリングに上がってみると、歓声を浴びることに人生を変えられるほどの嬉しさを感じた。曰く「デビュー戦でこれはやめられない、やめたくないと思いましたね」。 アイスリボンの「ウェット」なプロレス。   アイスリボンのキャッチフレーズは「プロレスでハッピー!」。藤本はそれを「プロレスからくる感情の動きすべて」のことだと広く捉えている。  「プロレスをやる幸せもあるし見る幸せもある。今日の試合、見れなくて悔しいなという気持ちだってプロレスに関わるもの。そういう気持ちすべてを大事にしたい」   藤本は女子プロレス、とりわけアイスリボンの「ウェットなところ」が好きだそうだ。彼女にとってのリングは「誰もが持っている喜怒哀楽、それを抑え込まなくていい場所」なのである。 藤本自身も、リングで涙を見せることが。  「控室で泣いてる選手がいると“中(会場)で泣きな!”って言うんですよ。お客さんに見てもらいなさいって」とも。   普通なら人に見せるべきではないとされるネガティブな感情も、プロレスでは観客と共有されるべきだし、それがこの世界での“表現”になる。   藤本自身も、リングで涙を見せることがある。   特に忘れられないのは2011年3月21日、つまり東日本大震災直後の後楽園大会だ。「こんな時期にプロレスやってる場合か」という声も聞こえながら、初めてのメインでタイトル防衛を果たした藤本自身が東北出身だった。藤本は試合後「今日来てくれたみなさん、見に来てくれたお父さんお母さん、生きていてくれてありがとう」と泣いた。  「ただ、若い選手だとプロ意識より人としての感情が上回っちゃうこともあるんです。相手のことを本当に嫌いになると“試合したくない”“話したくもない”になってしまうので(苦笑)。だからこそ闘わせると面白くなったりもするんですけど」   試合前の舌戦にヒヤッとすることもある。観客が静まり返ってしまうことも、アイスリボンでは珍しくない。   新人のジュリアは、8.26横浜文体で対戦する朝陽を「(事務所での)洗い物だってちゃんとやらないし。何回あんたのゴミ捨てたと思ってんのよ!」と睨みつけた。“リング上の言葉”としては異様だが、だからこそリアルだ。溢れて止まらない選手たちの感情と言葉を、藤本はあえて「野放しにしてます」。 団体の成長は間口の広さから。   もちろんそれは、選手代表としての舞台裏でのケアもあってのことだろう。   藤本によると、アイスリボンはリングアナの千春、レフェリーのMIOと選手経験者の女性スタッフがいることも心強いという。やはり同性にしかできない相談、同性にしか分からない心の機微というものもある。  「(佐藤肇)社長にも“女子の考え方はこうなんです”って説明する時があります。それを理解してくれる社長なので、私としてはやりやすい」 大会数、動員数ともに女子団体トップ。   取締役に就任してからは、異業種の女性経営者とのネットワークが増えた。   企業などの講演会に呼ばれることも多くなったという。アイスリボンはサンリオピューロランドでの試合など数多くのコラボレーション企画を実施しており、特に最近は“藤本案件”も少なくない。   芸能畑出身選手に加え小学生、中学生もデビューさせたアイスリボンを「学芸会プロレス」と揶揄する人間もいたが、今では大会数、動員数ともに女子団体トップを走る。コラボ企画、一般向けプロレスサークル運営などで間口を広げてきた成果だろう。   アイスリボンには学校のような面があり、この団体でレスラーとしての自我を確立し、自分なりにやりたいことができて退団していく選手も少なくない(藤本、都、ハム子が団体初の生え抜き10年選手だ)。それでも次々と新人がデビューし、新陳代謝が新鮮な風景を生み出して団体の人気を高めてきたというのが藤本の分析だ。 「子供もほしいしプロレスもあきらめない」   観客を増やすだけでなく、プロレスをやる女性も増やしたい、それが業界の隆盛につながると藤本は考えている。観戦に来た女性ファンや仕事で知り合った女性に「プロレスやってみませんか? 絶対できますよ。ここに連絡ください」と名刺を渡すこともよくあるという。  「私自身、プロレスをやってみて“こんなに人生を豊かにしてくれるものはないな”って思ったんです。自分が持ってる感情を全部表現して、それを見てもらって共有できるんですから。女性が闘いに向いてないということもないはず。“あの人に勝ちたい、負けたくない”って気持ちは誰にでもありますから。本当に他にないと思うんですよね、30過ぎて人前でケンカしていい仕事なんて(笑)」   30過ぎて、というところが藤本らしい。そういえば年齢や独身であることを周りからもネタにされてますよねと聞くと「いやいやネタじゃないですよ」と藤本。35歳なのは事実だし、結婚願望もある。女性として経験できる喜びを何ひとつ捨てる気はない。  「プロレスラーになった以上は女を捨てるとか人生捨てるとか、そういう考えは全否定したいですね。ウチの会社は産休手当、育児休暇があるので、選手としてしっかり使いたいです。もう五つ子とか産みたいですよ(笑)。子供もほしいしプロレスもあきらめないです、私は」 闘う限り、プロレスという“青春”は続く。   寿引退も素敵だなとは思うんですけど、と藤本は続ける。  「結婚したら引退って、やっぱり寂しいなって。結婚したら人気が下がるのも寂しいですし」   レスラー生活を「青春そのもの」と表現する藤本だが、その青春は結婚したり出産したら終わってしまうようなものではないということだ。  「女性に優しいプロレス界っていうんですかね(笑)。“こんな世界なら私も入っていきたい”って思う人が増えてくれたらいいなって」   取締役で、母親で、チャンピオン。それが“偉業”ではあっても“異例”ではなくなる日を、藤本つかさは現実にしたいのだろう。   横浜文体で対戦す

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