【負けブックを認めなかった猪木】猪木vs藤波 伝説の60分フルタイムドロー その原因は「藤波のベイダー戦負け役拒否事件」にあった! #プロレス #格闘技 #RIZIN #アントニオ猪木って動画が話題らしいぞ
【負けブックを認めなかった猪木】猪木vs藤波 伝説の60分フルタイムドロー その原因は「藤波のベイダー戦負け役拒否事件」にあった! #プロレス #格闘技 #RIZIN #アントニオ猪木が面白い件について・・
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1988年8月8日、猪木vs藤波の闘いは、余計な演出もなく、もちろん乱入もない。技と技、力と力の真っ向勝負で、これぞ新日本プロレスのストロングスタイルという本気のプロレスリングをファンに見せた。
当時の横浜文化体育館にはクーラーがなく、超満員札止めの観客と、テレビ中継用の照明で、リング上は灼熱状態だったという。
そして試合が開始して約20分。
問題のシーンが訪れる。
藤波がドラゴンスリーパーを決め、猪木は動けない。完全に極まった。だが、数十秒後、藤波はなぜか自らこの技を解いてしまう。この技では猪木がギブアップしないと思ったのだろうか。山本小鉄は「落ちたと思ったんでしょう」と言ったが、そういう感じには見えなかった。藤波は、「このままでは決まってしまう」と思ったのだろう。この時点で、見方によっては、藤波の勝利だった。
そして40分過ぎ、猪木が藤波の顔面に左右の張り手を何発も何発も連打した。
しかし藤波はノーガードで猪木に歩み寄る。猪木は藤波の顎に鉄拳3連発を放ち、延髄斬り!藤波は卒倒するようにダウンした。藤波は34歳とまだ若いが、猪木は45歳。
残り10分になった時、猪木がとても50分闘ったとは思えないスピーディーな動きを見せ、会場がわく。猪木の底知れないスタミナは本物だった。
残り1分で猪木が卍固めを決めるが、藤波がコブラツイストで切り返す。
猪木もコブラツイストからグラウンドコブラ。古舘伊知郎が叫んだ。「二人の猪木が闘っている!」
最後は猪木が体固めで上になったところで、タイムアップのゴングが鳴った。
死力を尽くした両雄は、すぐには立てなかった。猪木が、IWGPベルトを藤波の腰に巻く。藤波は堪えきれずに感涙した。
その直後、長州力が猪木を肩車してどよめきが起こる。越中詩郎に担がれた藤波と、猪木は高い位置で握手を交わした。猪木も藤波も泣いていた。
会場は嵐のような猪木コール。感動的なラストシーンに、ファンは酔いしれた。
余計な演出ではなく、ただ、本気のプロレスが見たいというファンの期待に、猪木と藤波は見事に応えた。だが、この試合後、猪木は約2ヵ月の休養に入ってしまう。猪木らしく、引退を匂わせつつ。
だからこそ、この試合は、猪木越えと言う意味でも、藤波の勝利が望まれる結果だった。
なのに、なぜフルタイムでの引き分けに終わってしまったのか?猪木は、この試合を含めて結局、藤波にはシングルで負けなかった。長州には負けている。
プロレスの試合は勝ち、負けで語れないが、この60分フルタイムドローという結果が、藤波に対する猪木の「最終回答」だった。猪木の、藤波に対する「お前には負けない」という最後通告。それが、この試合の意味だった。
前述の通り、猪木は自分に反抗したり反発したりする人間に対して、表立って押さえつけることはしないが、しっかりそれを覚えていてあとで報復する。
1987年12月のTPG暴動事件。猪木はベイダーを売り出すため、藤波に負け役を打診。
だがこれを藤波は断った。いわゆる「藤波のベイダー戦、ジャブ拒否事件」である。どうしても藤波が仕事をしないならと、猪木がベイダーとやるしかなかったのだ。
猪木はそれ以来、藤波に対し、このことを根にもち、厳しい感情を抱いていた。
「藤波は会社全体のことが考えられない」
こうした気持ちの猪木が、藤波に天下を取らせるはずはなかった。#プロレス #格闘技 #RIZIN #アントニオ猪木
>>3 おつかれ。いつもありがと
>>3 ありがとう
>>3 おつおつ
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